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加藤清正 Ⅱ その897

『加藤本家筋の断絶』

次男の正良は藤枝姓を名乗り、母である忠広の側室・法乗院と真田氏へ預けられていたが、父の

後を追って自刃した。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

これにより加藤氏の後継者がなくなり、領地は収公された。娘の献珠院は忠広の死から6年後に

許され、叔母の瑤林院(忠広の姉、徳川頼宣正室)のはからいで旗本・阿倍正之の五男・正重に

嫁したが、約3年後、正重が家督を相続直後に32歳で死去した。

丸岡において2子を儲けた(熊太郎光秋、女子某)といわれているが、公にはできなかった。

子孫は5千石相当の大庄屋・加藤与治左衛門(または与一左衛門ともいう)家として存続し、明

治年間に屋敷へ明治天皇が行幸する栄誉に浴している。

しかし、この家系を最後に継いだ加藤セチ(1893年 - 1989年、日本人の既婚女性としては理学

博士号取得者の第1号として知られる)の死去により、その本家筋は断絶した。

筆頭分家の加藤与忽左衛門家を始めとするその他の子孫は、山形県を中心に全国各地に散らばっ

ています。


2年を超えて、加藤清正にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

この後は、戦国時代から江戸初期の風俗などについて勉強したいと思います。

ぜひ、お付き合いください。



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いつもありがとうございます。


robin 20250615




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

Piglet01さん、おはようございます。
「加藤清正」を最後まで拝読しました。ありがとうございました。
臨場感のある文章と無理のない設定、楽しまさせていただきました。
次回作も拝読します。

連載お疲れさまでした

>piglet01さま、初コメ失礼します。
名将と誉れ高かった加藤清正の生涯を拝見しました。
子息が子猿を下げ与ったという回の記事で「領民百姓を統治するには…」と言って子を戒めたとなっていましたがやはり「アホボン」で加藤家は事実上二代で滅びました、今思えばあの回がなんとも印象的な伏線でしたね、父親の後を追って腹切るくらいなら何でもっと帝王学を学ばなかったのかと思いました。

武将個人としても名将誉れ高い人ですが滅びたんじゃしょうがないですな、今に残る熊本の殿様も大した奴じゃないけどね。

うぞうむぞう さま

うぞうむぞうさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
今でも、熊本では「セイコショさん」と呼ばれて慕われています(^^♪
名将の子孫は続かないものですねぇ~。
帝王学を子に教えるのは難しいのでしょう。
いつの世も教えるのではなく、子供の自覚がないとダメですね。

ブエノス小僧 さま

ブエノス小僧さん、こんにちは。
長編にお付き合いいただき、ありがとうございました!
清正さんは、豊臣家のため生きて無双の人だったようですね。
今でも、熊本県民には慕われているんですよ。
ぜひ、九州に行かれたら、清正公の熊本城に立ち寄られてください。
今後とも、よろしくお願いいたします。

No title

piglet01さん、おはようございます。

>2年を超えて
お疲れさまでした、十分楽しませてもらいました。
この連載期間をほぼ予定通りだもんな、
自分にはとてもできない。
>戦国時代から江戸初期
引き続き楽しみです。
(なんか中途半端ですがキーワードが引っかかって削りました)

三島の苔丸 さま

三島の苔丸 さん、こんにちは。
いつもありがとうございます(^^♪
本当に清正公は長くなってしまいました^^
準備ができ次第、戦国・江戸初期の風習・風俗に入りたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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